昭和23年3月 大阪府堺市北三国ケ丘8丁に於いて、松田竹次が創業。
昭和26年 創業者・松田竹次が58才で他界。
昭和27年 駅前デパートオープン
昭和38年 2代目・松田良雄が42才の若さで他界。
昭和37年 3代目・松田忠雄が、高校卒業と同時に家業を継ぎ、現在に至る。
松田忠雄
昭和19年2月3日、大阪府南河内郡狭山村字池尻に生まれる。現在70才、漬物経歴53年目。
昭和37年、18歳の時に父親が倒れ、母親と従業員2名で店舗2店(堺金岡店・東浅香山店)を受け継ぐ。
昭和54年 工場にて
平成15年 高石店オープン
平成27年 現在の工場
現在の工場
先代を早くに失い、漬物技術を継承できないまま家業を継ぐことになり、漬物について何もわからない状態でのスタートとなりました。
漬物作りの技術も、自分の幼少期の記憶を頼りに、漬け方や、素材選び、塩加減など、先代を模倣しました。しかし、お客様から「先代と味が違う」などの厳しいご指摘、売上は前年の50%まで落ち込みました。
これを機に、「いつまでも先代の味を追っていてもそれは先代のマネであり、自身の味ではない!自分の味覚を信じ、自分の味で勝負しよう!そうすれば、よりおいしい漬物ができるはず!」と考え、先代からの技術をベースにしながらも、そこへ自身の味覚をプラスして勝負したいと思いました。
まずは、漬物の鮮度(生きた漬物)を保つことに注力しました。当時(昭和37年)の漬物屋には、まだ冷蔵庫はありませんでした。
その中でいかに「鮮度を保つか」「色よく漬けるか」が勝負だったのです。そこで考えたのが、3代目「いせや」の素材へのこだわりのスタートでもある、「仕入れた時点で漬け込みを行う」でした。
私たちは毎日仕入れに青果市場に行きます。夏場にはトラックに200リットルのタンクをのせ、そこに塩水をいれて青果市場まで走ります。新鮮な原菜を購入し、すぐさまトラックの塩水で5〜6時間の漬け込みを行うことで、短時間でしっかりと漬かった、鮮度と色艶の良い漬物ができるのです。